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M子さん 9 学歴ロンダリング 1

2014.07.06.Sun.10:12
M子さんは昭和38(1963)年12月に虎ノ門病院で生まれました。その2ヶ月後にびるあけむも都内で、びるあけむから8ヶ月後に名古屋で横田めぐみさんが生まれています。

その後父ヒサシの任地であるモスクワで生活中に母ユミコがスイスで双子の妹を出産、一家はニューヨークへ。現地の公立小学校に入学しますが、2年になる前に帰国します。その後高校1年の時父が再びアメリカになるまで、ずっと日本で暮らしていました。

つまり、小1から高1まで日本で教育を受けています。てっきり母国語を一番吸収する時期に海外で暮らしたので、あの話し方(要領を得ない、不適切な接続詞で延々と続く文章)も仕方ないのかと思っていたので驚きました。

ちなみに秋篠宮妃紀子様も6歳までアメリカ在住、一旦帰国し、11歳からオーストリアへ。2年間のオーストリア生活中、アメリカン・スクールで英語を使う一方、ドイツ語も堪能になっています。

M子さん小1で帰国した時、母ユミコは自分の母校である田園調布双葉(デンフタ)に編入させようとしましたが、点数が足らず公立校へ。小2に進級する時も失敗。小3でも失敗したのですが、双子は合格したのでお姉ちゃんも入れてくれ、と頼み込んでやっと編入させてもらった、という噂があります。

デンフタ時代で有名なのは鳥の解剖を書いた作文(追記に貼り付けてあります)。あまりに冷酷な文章がサイコパスを思わせます。他にもソフトボール部の合宿から勝手に帰ってしまったり、プロ野球選手の追っかけをして一緒にお酒の場のようなところにいる写真が残っていたり、当時から普通のお嬢さんではなかったようです。

エスカレーター式であるデンフタからも高校進学は無理と言い渡されたようですが、高1在学中に父ヒサシが海外勤務になるので途中で転校するからと母ユミコが頼み込んで、やっと進学できたようです。



   「クラブ」          小和田雅子

 六年間の思い出といえば 修学旅行、林間学校、遠
足 運動会など たくさんあります。
 でも、とても印象に残ったのは 六年の十一月十四
日のクラブです。私は 五年の時は手芸部で、今年は
生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先
生の、小さいクラブです。
 この日、私たちは、「コジュウケイ」のはくせいを
つくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスに
ぶつかって 死んだのだと先生はおっしゃいました。
 肛門から はさみをいれて お腹の皮をさきます。
その後、肉を切らないようにして 中の肉を取り出し
ます。そのためには 足とつばさを 適当なところから
切らなければなりません。足は、うまくいきました。
つばさも一こできて、残るは つばさ一ことなりまし
た。そこは、先生がなさいました。ところが何という
失敗! 先生は、つばさを切り落としてしまったので
す。あと 頭のところの肉を取れば、肉が取れたのに。
そして かわかしたあと 中身を入れて はくせいが
できたのに…… とても残念!
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